2017年6月20日火曜日

あがり症とは

あがり症は4つのタイプがあると考えられます。

① 胸騒ぎ
② 自意識過剰
③ 準備不足による様々な感情
④ 病的で活力を失わせるほどの怯え、恐怖心、不安、パニック

①の胸騒ぎは、演奏直前の数時間の間に起こり、時に強烈な不安を伴う感覚で、演奏が始まると同時に消えます。(演奏に集中するため)
ベテランの演奏家たちは、演奏の準備ができているしるしと考えますが、経験の浅い演奏家はあがり症と思い込んでしまいます。
これは正常な反応で、演奏に良い影響をもたらします。

②の自意識過剰は、演奏のことを考えるたびに発症します。
自意識過剰とは辞書に「他者からの注目の対象として、病的に意識すること」とあります。これはあがり症というのは間違いかもしれません。なぜなら、不安とは関係ないからです。演奏中は終わりまで通して、悪い影響を与えます。「私はいつも本番よりも練習の時の方がよくできる」このような状態です。

③準備不足による様々な感情とは、罪悪感、後悔、混乱、逃避願望や恐れが混じった感情です。これは病的でなく、人間らしいこと。演奏前の数週間に継続的に発症します。逃避願望があるために、それほど強烈ではありません。
ただ、準備不足や練習不足を認めたくない人は、時たま④のタイプと混同します。
特に支配的な感情は罪悪感です。演奏にばらつきがあり、一定の水準に達しません。
単に練習不足です。

④病的で活力を失わせるほどの怯え、パニックとは、準備期間中から突然時を選ばず発症します。夜中に突然、または運転中、共演者と電話で話した時など、強烈な感情が湧き、波のように押し寄せ、汗をかいたり、震えたりなど無意識的な反応を伴い、呼吸が早くなったり、口の中が乾いたり、感覚が混乱したり、なくなってしまうことが起こります。
予期せず発症し、治っても急にまた発症します。
演奏中の影響として、演奏そのものを中止させてしまうような恐怖心があります。コンサートが無事終了しても、その間中、突発的に恐怖や不安感に襲われたり、汗や震えなど身体的な症状が出ます。感覚的な混乱により
・譜面が読めない
・共演者の音が聞こえない
・ど忘れ
・リズム感の失調
などの症状が出て、演奏をいったん中止せざるを得ないまでになることもあります。


対処法

①胸騒ぎ その状態を楽しむことを覚えましょう。演奏に、今やるべきことに集中すれば消えてしまいます。


②自意識過剰 他人の観察の対象として、自己を強く意識する症状に対処するには2つのステップがあります。
1、観客がコンサートホールに足を運ぶのは、音楽を楽しむためだという考えを徹底します。あなたを注意の対象にしているのであれば、あなたは演奏する必要はありません。自分を鑑賞させれば良いのです。
2、自己に対する気づきの感覚を発達させることです。本当の自己認識(筋感覚・触覚・感情)は自意識過剰に対する信頼できる治療法です。例えば、演奏中他人の視線を意識するよりも、床についてる足の感覚を感じてみたり、ホール内の気温を感じてみたり。

1のステップが心から理解・納得できれば、問題は解決されるでしょう。ここでは音楽こそが観察の対象であり、観客と演奏者は共に音楽に興味を寄せているのです。

③準備不足による様々な感情 公演やオーディションを延期するかキャンセルすることです。それからしっかり準備・練習をしてください。どうやって準備したら良いか分からないなら、教えてくれる人を探しましょう。演奏の質を損なう理由が準備不足だとしたら、決してあがり症を言い訳にしてはいけません。

④病的な怯え、恐怖心、不安、パニッック この症状に対する治療には努力が必要で、厳しく困難なものですが効果はあります。この種のあがり症は、その背景にある原因は何かを理解することが重要です。悩んでいる人がその苦しみから解放されなくてはなりません。
この件に関しては後ほど機会をみて、深く取り上げたいと思います。
 

        

2017年6月6日火曜日

あがり症の文化的背景

6月に入りました。
前々からあがり症について、私が勉強したことをこれから発表会を迎える生徒さんたちに向けて、レクチャーしていきたいと思いつつ、毎日があっという間に過ぎ行くことに驚きつつ、果たされず、すみません😓そのぶん必要とされているってことで?(笑)、ありがたいことですね。

では、これから少しずつ書いていきます。

「あがり」は全く予測不可能で、小さなコンサート、さほど重要でない予期しない場面で、演奏者を骨の髄から揺さぶります。多くの表現者にとって、あがりは不出来なところや短所を露わにしてしまう、恥でみっともない病気と考えられています。舞台であがった経験は、情け容赦なく人を打ちのめし、演奏に芸術的面で不満を残すような結果を招き、このような失敗が潜在意識に溜まると、自分でどんなに「緊張しませんように」「あがりませんように」と願っても願いも虚しく、結果はいつも不安や恐れ通りに「あがり」が実現化しやすくなってしまいます。
この「あがり」は純粋に個人的なものではありません。文化的な背景を抜きにしては理解できません。あがり症が起こる状況について理解を深めるために、あがり症などないような環境から、眺めてみたいと思います。
 
あがり症は俗にいう『プロアマ』(プロのレベルで演奏するアマチュア)や教会の演奏者、インドの古典芸能やアフリカン・ドラムのプレイヤーには滅多に起こらないようです。アフリカン・ドラムは西洋の音楽よりも遥かに複雑で難しいリズムであるにもかかわらずです。
 
 プロアマの人たちは演奏する際に気分が高揚し、期待感を感じると言います。友達のためにご馳走を作るような気分だそうです。音楽そのものを聴き、演奏し、新しいことに挑戦、発見する喜びが原動力になっています。そして、演奏がうまくいかなくても、結果として仕事を失うわけでも、同僚から軽蔑されるわけでもありません。

 教会の演奏者は「不安を感じないのは、たとえ素晴らしい演奏をしたとしても、それが目的ではなく、祝祭の雰囲気を演出するのが仕事だから」と言います。コンサートと違い、自分が主役でないからだそうです。

 インドの古典芸能者は、教育が生活の一部で、指導者と一緒に寝食を共にし、毎日指導を受け、その中で様々な教えやサポートを受けているから、くつろいで演奏できるのだろうと言います。

 アフリカン・ドラムの奏者は、あがり症に悩んでいる人に出会ったことがないそうです。「我々は音楽を恐れていませんからね」と。ドラムを教える際にあがり症を防ぐ要素についてこう挙げています。「私たちは絶対に間違いを指摘しません。そんなことは馬鹿げています、幼い子供の喋り方や歩き方を指摘するようなものです。」アフリカの教育者達はほとんどの時間、生徒と供に演奏したり過ごし、競争はなく、ただ演奏しかないようです。

私たちの文化の中であがり症を強く意識せざるを得ないのは、どうやら西洋音楽・クラッシック音楽に深く根付いたことではないかとうかがえます。
クラシック音楽業界全体に自己正当化、競争意識が深く染み付いており、その影響は聴衆にまで及んでいます。何世代もの間に、一般大衆は楽しむことより、批判・批評することに慣らされてしまったように感じます。かのハイフェッツも、演奏会にくる3,000人のうち、2,999人までが彼が音を外す瞬間を聴きに来ているのだと、確信していたといいます。
これでは芸術家があがりに悩まされていなくとも、コミュニケーションは聴衆によって妨げられていることになります。双方が楽しいと感じるためには表現者は「与える」、聴衆は「受け取る」気持ちがなくてはなりません。

このように恐怖心とは、純粋に個人のものだけではなく、聴衆と音楽家とがお互いに共有している文化的な現象でもあります。個人が変わるのと同時に、その原因となっている文化も変わらなければならないと思います。
私はこの文化を微力ですが自分の周りから、生徒さんに対しても、少しずつ変えていきたいと思っています。